“作画”していない素の福島潟の朝焼け。
5月21日に撮影してますね。実際に肉眼で目にした姿に近いです。明かるい部分は明るく、暗い部分はそれなりに写っています(リバーサルフィルムは一発勝負!)。
露出はこの構図で出目数値に対して1段分オーバーにかけている。続いて+1/2、±0、-1/2・・と撮り重ねていくが、出来上がりのスリーブをチェックしてみたら明暗差がだんだんクッキリしてきて、派手さが増していた。
アンダーで撮影していくと空はオレンジが濃くなり・・一方、葦原の日陰の部分は真っ黒・・、そんな風になっていく。
これじゃあ、どうしようもない。
葦原部分を「明るく」しようとすると、空は白けて見えるし。
このあたりが無難でしょう。
最近、デジタル写真で、光周りにしっくりいかない写真を目にする。
そうなると対象を「鑑賞」しようとする気持ちがなくなる。逆に、「検証」するような目線で見てしまう。加工もほどほどにしないと、見るに堪えない。
時代の潮流についていけない頑固親父の戯言と考え方であると大いに自覚しているつもりだが、なんだかな~。
事例検証
以前、鳥屋野潟で写真を撮っている時、こんなこともあった。
私の近くにもう一人いる。
その人の立っているポイントはその時期、一番スッキリ全体が見渡せる。
けれど、杭が邪魔なんだな。
目の前にデカい杭が湖面から突き出ている。それなんで、「此方に来れば、場所、空けるから」と、声を掛けたら、「いや、いいです。杭でしょ。あとで消せますから」と。
・・・写真って、そんなもんなの? やっぱりオイラの頭が固いのかな?
RVP100 AI Micro-Nikkor105 f/4s NikonF5 5月21日撮影
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