春を迎えた頃から福島潟では遊潟広場側で朝焼けを撮影する日が多くなる。
いつもの木が美しく映える時期がやって来た。背景が美しい朱色に染まるんだ。枝振りがシルエットとして浮かび上がってくるんだ。
遠く牛の背中を連想させる山々の重なりとその木とのコンビは僕は大好きで、毎年のように撮り重ねている。
この時期はいつもなら葦原は野焼きされている。いつもの木は黒焦げの大地からポツンと取り残されたように立っているのが常なんだ。
全体を絡ませて眺める光景はあまりにも醜い。
汚いからカメラマンはあまり近寄っては来ない。
しかし、考えようによってはそれが良い方に作用する。
葦が無ければいつもの木の“足元”がよく見える。木の全体がシルエットとして撮影できるチャンスでもあるのですね。
野焼きされ黒ずんだ大地だって川霧が沸き立てばその中に沈んでしまう。
タイミングさえ合えば、息を呑む光景に出会える時がある。
ところがである。
今年はコロナの影響で野焼きが中止となった。
昨年は野焼きされても雨で途中で火が消えた。いつもの木はその“袴”部分を露わにすること無く2年目を迎えたことになった。
それでも、なんとかなるだろうと木に近づいては視線を低くして木の全容を探ったのだが、どうしてもアングルが見つけられない。
結局、引いて撮影したのがご覧の写真。
朝焼けで染まる中心はまだ右寄りだ。だからまだ撮り直しが効く。木が勢いづいてワ~と葉を広げる前に、なんとかしてチャンスを掴みたい。
*木が葉を広げると枝のシルエットが潰れてしまうんで
RVP100 Ai-Micro Nikkor 105f/4 NikonF3 4月4日撮影
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