ふきのとうが顔を出し始める春先の夜明けは、山の端が茜色に染まります。
雲一つなく晴れているのが条件ですが、およそ「春はあけぼの・・」と聞いて連想する「おぼろげな春のイメージ」とは程遠い「透きとおる赤」になる時があるのです。
大気が汚れ無く澄んでいるからなのでしょうか。
染織家『吉岡常雄の仕事 天平の赤・帝王の紫 幻の色を求めて』(紫紅社)の中に「・・日本茜(にほんあか)は飛鳥の昔から、日本人に好まれたあかだったんですが・・」との記述があるのですね。
「日本茜」がどれほどの深みのある「赤」かは実際にこの目で見たことはありませんが、もしも天平の時代、いにしえの人々がこの赤い夜明けを眺めていたのなら「この朱に近い赤をどう表現したのだろう」などと考えてしまいました。
まぁ、当時に福島潟が存在したかどうかですけど。
以前に星空を撮影している方が「春先は星々が綺麗に見える」と言っていましたが、ある意味、納得するような澄んだ赤に見えたかな。
撮影は3月31日の土曜日。出勤でしたが、一か八か撮影に出掛けた。
会社は新潟の西の方、かたやここ福島潟は北に位置する。就業時刻は7時だから移動距離や車の速度を考えると撮影時間は20分あるかないか。
残念ながら、川霧の発生はさほどありません。沸き上がっても右から左へと川面を舐めるように流れていく。ただ、考えようによっては葦焼き前の赤い夜明けを見られただけでもヨシ(葦・アハハ)としよう。
レンズの絞り値F5.6、シャッタースピード2秒(ISO感度100)で一発勝負。結果・・山の端は見た目通りの明るさになりましたが、葦原は暗く沈んだ。
けれど、これはどうしょうもない。フィルムはこのへんの駆け引きがあるから止められないんだな(ある意味強がりで言っている)。
RVP100(ReversalFilm) AI Micro-Nikkor 55 f/2.8s NikonF5 福島潟
*最初の投稿記事を全面的に書き直しています
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