無くなるということ

「無くなるということ」を考えてみた。

そこに在るものが無くなる。親しい人が亡くなる。いろんな「なくなる」がある。

写真の「無くなる」はボクにとってはちょい辛い。

「何でだろう」と考えてみた。

おそらくはこれから先、記憶だけが頼りになるから悲しいんだろう。

形在るものとして思いを寄せる対象がそこにはもう無い・・そのことを許容できないから辛くなるのだろう。

記憶だけの想い・・・ある意味、切ないなぁ。

胎内市・中条体育館 11月5日撮影

RVP100 AI-Nikkor 180f/2.8s ED NikonF5

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