無くなるということ

「無くなるということ」を考えてみた。

そこに在るものが無くなる。親しい人が亡くなる。いろんな「なくなる」がある。

写真の「無くなる」はボクにとってはちょい辛い。

「何でだろう」と考えてみた。

おそらくはこれから先、記憶だけが頼りになるから悲しいんだろう。

形在るものとして思いを寄せる対象がそこにはもう無い・・そのことを許容できないから辛くなるのだろう。

記憶だけの想い・・・ある意味、切ないなぁ。

胎内市・中条体育館 11月5日撮影

RVP100 AI-Nikkor 180f/2.8s ED NikonF5

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

ウマノスズクサは生きていた

小高い丘の上から・海

関連記事

  1. 時候雑記 暖冬?

    ①暖冬だよね。こんなに寒くない冬ってあったかな。いまだ自転車通勤。それと鳥…

  2. 時候雑記-9

    ①フィルムとその現像代が10月から20%ほど値上げになった。使用するフィルム…

  3. 時候雑記-8

    ① 野鳥たちの”秋の渡り”が始まっていた。12日朝6時30分頃から8時頃まで…

  4. 時候雑記-6

    ① 稲の花が咲いた。鳥屋野小学校の学校田だ。7月31日に出穂を確認!、8月1…

  5. モバイル対応

    ① 当ブログをスマホで覧てみたら「あらら、写真がない!」。それで、管理画面…

  6. ニコンD4sが欲しい

    近くのお客さんへ行ったついでにビッグカメラに寄る。カメラ売り場に入ると新発…

  7. 時候雑記-7

    ① NikonクールスキャンLS-50を一般修理に出した。2006年に購入後…

  8. 時候雑記-4

    ① やはりツバメの姿が極端に少ない。日本に渡ってくるルートの途中で何か大きな…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

PAGE TOP
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。