秋風・風が吹いて水面が一斉にざわつくと夏の終わりを感じる


フィルム写真には“落とし穴”がある。

その場で撮影状況を確認出来ない分だけ“想像”が膨らむ。

想像は時にして冷静さを失い、いつしか“妄想”に変わっている。

その変わったことに気づかずにいる自分がいて、現像が出来上がり、ルーペで覗き込んで初めて妄想と現実の違いを目の当たりにするからだ。

大概は奈落の底へ突き落とされるような喪失感を味わってしまう。

こういう経験は私だけではなく、プロの写真家の中にもいることをたまたま手にした雑誌で知り、内心ホッとした。

どんな雑誌でどんな写真家かは、さして興味がなかったから覚えていないが、「ここ一番というときにフィルムを使用する」
なんて書かれていて、「うっそだぁ~」と、大いにリアクションした。

その延長線で、この写真家は“フィルムの落とし穴”について語っていた。

「想像が現実を超えてしまうから、しばらく現像に出さない」

「しばらく放っておくうちに、冷静さを取り戻す」

・・なんて書いてあって、これには、ふむふむ・そうそう・と読んでは納得した。

最近、撮影した鳥屋野潟の朝焼け・・そのフィルムはしばらく冷蔵庫の中に寝かしていて、現像にも出していない。

冷静さを取り戻す前に、冷蔵庫に入れたまま忘れていた・・・なんてことだけは避けたいものだ。

写真は今年の9月上旬に撮影した朝の鳥屋野潟。

秋風が吹いて、潟一面に波が立つ。夏の終わりを感じたような。

RVP100 AI Nikkor 35 f/2s NikonF5  上沼橋から

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草葉の陰・一定の範囲内で乱舞していた。これは何を物語るのか?

ドッキリ蛾 ハグルマトモエ・誰だってビックリするぜ

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