世間で俗に言う「捨てられし者」つまり「敗者達」に傾いた陽があたっていた。
彼らにも陽の恩恵にあずかる一時があると言うことは「選択肢から外れた者達にも」勝者同様に均等な光が与えられたと言うことだ。「勝者」は言い換えれば「愚者」でもあるから、命を司る陽の光の前には万物は平等であるのかもしれない。
そう俺は思っているんだけどなぁ。
これまた通勤帰りに自転車から降りて見た光景。
毎日この脇を通るから気になってしょうがない。いや、気になる対象が他にないせいかも。都会と違ってすれ違う人、車がまずない。ですから音もない。自転車漕ぐ自分の体臭がポワ~と臭う程度である。
発酵する球根礫に成長したチューリップが覆い被さっていた。切り花のような感じである。ある意味、日の目を見ることのない球根達への手向け花に見えた。
4月1日撮影
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