ソメイヨシノの蕾の状態を確かめに鳥屋野潟公園に出向くも掃き寄せられた落ち葉の上、崩れ落ちた椿の朽ち花達に吸い寄せられてしまいました。
幾多あるなかでひときわ厚く重なる掃き葉の上にその姿は朽ちて尚も凜とした佇まいがそこかしこに漂っているような気配さえ感じてくるのです(この瞬間はフィルムでもパシャリ)。
佇まい・・かつてその花が満を持し咲き誇っていた時があったわけで、その名残香が堆肥のそれとは一線を画し、上へ上へと揺らいでくるのです。
数年前に此処鳥屋野潟公園で感じた八重桜の落花の豊潤な香りではなく、煤けた色褪せた匂いとでもいうのでしょうか。
ただ、それでいながら明らかに艶のある椿の香りが介在しているのです。
どう表現したらよいのでしょう。
嗅ごうとするとその本念を見失い、気にしていないといつの間にか周りに漂っているようなそんな香りなんですね。
桜の開花前にちょっと得した気分になったような。
RVP100 Voigtlander ULTRON 40f2SLⅡs NikonF3 7日 鳥屋野潟
選挙投票所
母を地元の選挙投票所へ連れていった。「前回はいげねがった~」の言葉が引っ掛かっていたのでした。
投票場所は◯◯中学校の体育館。
ここは入り口で靴を脱ぐのですね。それでスリッパに履き替える。
これは遺憾ですね。
年寄りはただでさえ足腰が衰えている。
そんな状態でスリッパに足を入れたってその指で踏ん張れないですね。
前屈みの状態で不安定な足元・・なんか危なっかしいです。
歩くのが、前へ進むのがつらいのです。
車椅子が傍らに置いてありましたが私には「飾り」に見えてきます。使い方がよく分からないのですね。
少なくともここの場所は健常者目線での捉え方ですね(因みに新潟市の選挙投票所では床にロールシートが敷いてありその上を土足でいける)。
改善すべき点ですね。
こんな身近な問題になぜ気がつかないのかな。
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