天女の羽衣みたいに見えたのは気のせいかな。
現像が出来上がってくる間、「露出はあれでいがったがな」とか「(朝焼けの)出だしの方がいがったがも」などと、頭の中でこの日の雲の形を想い描いていた。
それで、スリーブを受け取るのを楽しみにしていましたが、出来上がったポジの中には天女は写っていなかった。
「天女はどこへ行った?」
フィルムカメラの落とし穴にズッポリと嵌まりこんでしまったようだ。想像が膨らむあまり、都合のよい映像が頭の中に生まれてきて、上書きされていく。
フィルム写真をやる人によく現れる症状である。いわゆる“思い込み”というヤツだ。
こうした病気は私のようなアマチュアだけかと思っていたら、プロの方々にも多いと聞いた。雑誌で、そういた内容のコメントを寄せていた方も確かにいたな。
いずれにせよ“治療薬”はただ一つ。撮影後に“冷却期間”をおくことと思う。撮影内容を敢えて考えない。撮ってしまったら、「ハイ、ソレマデヨッ!」だ。
ホントに天女がお出ましたわけではない。天女を想わせる羽衣みたいな雲に想像が勝手に膨らんでしまったのだった。
RVP100 AI Micro-Nikkor105 f/2.8s NikonF3 鳥屋野潟 5月29日撮影
忘れ物
3日、ケーブルレリーズを撮影中に無くしてしまった。
福島潟の遊潟広場側の土手上で朝焼けを撮影していて、立ち位置を少し移動した。
移動する前にフィルム1本を撮り終えて、三脚からカメラを外して、手に持って、草むらに座り込んで、カメラバックを下敷きにして、使用済みのフィルムをバックの外ポケットに入れて、新しいフィルムを装填し、・・・フィルムのスターター位置までフィルムを巻き上げた・・その時あたりから記憶が定かでない。
フィルムを巻きあげたらシャッターを指で押したよな・・ケーブルレリーズはこの時に無くしたのだろうか(その後の撮影はレリーズを使用していない)。
終了後、車で別の場所へ。そこで機材の確認中に無くしていたことに気がついた。
すぐに戻って土手や、歩いたであろう辺りを探したが見つかりません(こんな時に限って、家の用事があり朝のうちに戻らねばならない)。
今どき、ケーブルレリーズを使う人なんてほとんどいないと思うけど、誰かに拾われたらそれはそれで諦めがつく。
最近、こうした凡ミスが多い。
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