『夜明けの霧潟』の数分前の光景です。このような蒼の世界が拡がっていました。
カメラの露出は出目数値のままで、細工せずにそのままでいきましたが、幾分アンダーになったかな。
「蒼」が強調された感じがします。露出をオーバー目にして撮したカットもありますが、画面左奥の木々がさらに薄くなりました。
淡い乳白色で雰囲気は出ていたので、これにはすこし残念です。見たままの姿がフィルムの良い所ですが、いまだその見極めが出来ないでいます。
どのくらいの明るさなら、潰れずに表現出来るのか、など私なりに光を読んでいるつもりですが、集中が長続きしません。
やがて夜明けの刻が迫って来て、山の端が赤らんできた頃、画面の状態から数㍍左側へ下がって、カメラの向きを右に振って撮ったのが、前回掲載した『夜明けの霧潟』となります。木の大きさを比べると少し移動したのが分かります。
話はガラリと変わりますが、春先の撮影では何処へ行ってもゴミの散乱が目に付く。
風景を撮っている時なんか、湖面に木くずや洗剤容器、発砲スチロールなんかが漂っているだけで、興ざめしてしまい、撮る気が失せてしまう。もしくは、その部分だけ画面から外して映らないように撮影する時もある。
冬場は雪に埋もれて目立たなかっただけかも知れない。春になって雪が消え、枯れ枝の隙間が目立ってくるから、余計にゴミに目がいってしまうのだろうか。
先日、福島潟ではボランティアの方々も加わって一斉清掃が行われた。
あの広い敷地の中、持ち場を決めて数百人の方達が汗水垂らしてゴミを片付けてくれた。廃材、タイヤ、テレビ、触りたくもない汚い物など取り除かれている。
あれを見たら、何もせず撮るだけ撮ってハイさよならね・・ではいかない。
撮影時にはレジ袋を持参してせいぜい駐車場に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めてはいたが、酎ハイのアルミ缶を拾ってみた。
一寸恥ずかしい。
他の人に見られたくない心理が働いてしまう。自分が捨てたのではないのに、照れくさくなってしまう。
RVP100 AI Micro-Nikkor 105 f/4s NikonF5 4月5日撮影 新潟市・福島潟
*肝心なこと忘れていた。『蒼霧』の読みは「あおぎり」でしょう。
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