Nikonでは昔から接写用レンズを“マイクロレンズ”と呼ぶ。
どうして“マクロ”ではなく“マイクロ”なのかは最初に設計し、開発した方が、そう名付けたから・・なんて聞いたような、読んだような(不明)・・それはそうと私の使用している“AI Micro-Nikkor105 f/4s”は好きだ。(もっとも自分のレンズをイヤイヤながら使っている人を見たことがない)
1980年代の製造で、1/2等倍までしか被写体に寄れないし、開放f値も4。
レンズのコーティングもおそらくは単層膜ではなかろうか。強い光に向けると、ハレーションが出てしまう・・なのに使い続けている。全く気にならないのだ。
それはたぶん、このレンズに“人肌”を感じているからだろうな。
成績優秀で品行方正な優等生ではないが、丁寧に扱ってやると、持てる能力を最大限に発揮してくれてるし、しかも文句一つ言わない(露出とピン位置が決まったカットは身震いする)。
寒くなって気温が下がるとピントの回転リングが重たくなるぐらいだが、両手でしばらく包み込んであげると、息を吹き返してくれるし・・・。
(どうしょうもなく動かなくなれば、グリス交換という治療がある)
よくピントを合わせていて、「もっと明るいレンズならばな~」とか、「もう少し寄れたらな~」なんて思ってしまう事があるのは事実。
けれど現像が出来上がり、ルーペで覗くその世界に「オッ」となる時もある。
微妙な光り加減で苦しんだり、悩んだりしながら撮影した当時の様子が克明に記録されているのを知ったり、悟ったりすると、手放せなくなる。
しかも弱い光周りの状態で撮影した時などはトロ~ンとした仕上がりに。
久しぶりに手入れをしたら、ピントリングのガタツキやら絞りリングのクリック感がちょっと最初の頃と違うような・・・一度、病院に入れてみるか。
掲載写真は9月11日、福島潟で撮影したヤマトシジミ。
小さい上に風も微かに吹いて撮り辛かったけど、背景が綺麗な薄緑に仕上がった。
RVP100 AI Micro-Nikkor105 f/4s NikonF5
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