自宅栽培と言っても女房の実家で実ったミカンである。実家に畑があるわけでない。庭にミカンの木が数本あって、時期になると毎年数個は実るという。肥料も与えないのに立派なミカンができた。
一般的な温州ミカンと比べると大きさはMとLの中間。球体に近い。少し濃いめのオレンジ色。弾力が食べごろのミカンを一つだけ頂いて家に持ち帰った。
で、例によって『家くだもの写真』を撮ったのでした。
窓の明かり、ライトスタンド2灯。影は軟らかめに。それでいて立体感があるような。
3日昼過ぎの撮影
転院決意
「セカンドオピニオンも治療のひとつ」・・この言葉が僕らを後押しした。主治医以外の診察も参考にしようと。一方で娘は「出来るだけ早く転院したい」と我々に訴えていた。
家族会議を開いた(もっとも毎日だけど)。現状の主治医の下では娘は自分の意見をキッパリ言い出せないでいる。診察時に同席する我々も薄々そのことは感じていた。我々が口をはさむと主治医は「娘さんに聞いてるんです」となる。これじゃあ、尋問受けてる気分だわな。
先生なんだから指示に従おう
ただ診断を終えて「なんか、へんだよねぇ~」口にする回数が増えていた。
決定打は減薬方法だった。こちらは娘の詳しいデータを持っている。症状が不穏になるのは全て主治医の指示通りの減薬をおこなった時である。それもベンゾジアゼピン系薬剤。
いくら「減薬の離脱症状です」と訴えても認めてくれない。それどころか「再発の可能性があるから入院したほうがよい」と説得される。こちらは気持ちが折れかかる。
入院は取り消してもらったが、クエチアピン、リスペリドンとも増量となり、ベンゾ系のロラゼパムを日に3錠新たに追加された。フルニトラゼパム一気に半減の代償がこれになっちゃった。
一人で自転車に乗って映画を観に行くまでに回復していた娘は増薬後にどんどん動けない体になっていく。いろいろやりたいことがあるのに出来ないでいる。
能動的思考を維持してることは陰性症状とは違う。明らかに薬のオーバードーズだ。
あの時、断薬したフルニトラゼパム1錠を元に戻し、その後に漸次減薬をしていれば今と違ったのではないのかと悔やまれてしまう。しかも娘には高プロラクチン症状も現れている。
そしてロラゼパム一気の減薬指示でしょ。
我々にベンゾ系薬剤の減薬知識がなかった。
『ベンゾ系睡眠薬・抗不安薬からの安全な離脱方法』という本を手にする。
昨年の暮れに生活相談員に連絡を入れた。医療保護入院を経験すると退院時に生活相談員が選出される(なんか大袈裟な仕組みに取り組まれてしまったもんだ)。
相談員は丁寧にこちらの話を聞いてくれた。そのうえで新たな医療機関は予約を取っているのか、紹介状がないと診察を断られる場合もあることなどを聞かされた。
診察日はネット予約で確保した。娘が体調の変化を感じた際に最初に受診したクリニックで診察券も持っていた。娘は此方が希望らしい。紹介状は相談員を通じて主治医に依頼するとのこと。
うまくいくのだろうか、うまくいったところで不安もある。
次回はその不安についてお話ししようと思います。では、また。
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