岸壁で船と雑草を撮影後に此方に来た。有刺鉄線の囲いの向こうはものすごく広い。そのせいか眺めていて解放感を覚える。時間の流れをさほど気にしなくなる。
広い場所に出ると些細なことが気にならなくなる。
変な余裕がうまれる。
もっとも、撮影場所も撮影する時間も限定的だ。そっから抜け出せれば、違った世界が見えてくるんだろうけど、今の俺には精神的にも経済的にも苦しいものがある。
HDR調表現
話が飛躍しすぎてしまうが、最近デジカメの現像に【HDR】を多用する。こちらのほうが自分の心象風景に近いのだ。雲のゴワゴワ感なんてイメージしていたとおりだ。
なのに、巷では【HDR】で表現した作品を多くは見かけない。
あったとしても、HDRをほんのちょっと効かせただけ。HDR調に仕上げました・・と言わなければ気が付かない程度だ。僕にはそれが不思議でならない。HDR表現に罪悪感あるのかな。
一方で、モノクロではハード、ハイコントラストな写真を多く見かける。
モノクロの発展的表現は良くてHDRは別なのか?
何故なんだろう?
時代がまだ、そういった表現についていけないのだろう。
確かに【ハイコンモノクロ】が使われ始めた頃、ざらついた粒子、荒れ、ブレ、ピンボケ・・当初はみんな敬遠したらしい。それと似たような感覚にあるのか。
そう考えると、俺が今やってる表現手法は時代の先端か!
・・バカ親父的発想は今後も続く。
カメラのエフェクトにあるんだし、もっと使えばいいのになぁ~。
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