胎内市の実家で一人暮らしの母。
6月26日が母の誕生日なんだが、前日の25日土曜日に撮影した。86,87、その辺りと思う。正直、年齢が判らない。知ろうとしたくない。僕はずっと、それで生きてきた。
母はシャキッと働いてて当然と思っていた。
それが、父が死に今度は自分が死ぬんだと言うようになった。庭の草花を愛でる一方で、「死んだら、オメ、雪囲い、しんねまねんよ」と夏の直射を浴びながら真顔で話す母。
腰の曲がった母の姿は見たくないのが本音である。
母は、いつも、働いていた。
現実を直視しないで生きてきた“ツケ”が、大きな壁となって目の前に現れてきた。
左肩の痛み
自転車乗るとまだ激痛が走る。ただし、痛みに体を仰け反らせることはなくなった。なんとかハンドルを持ち続けることが出来る。処方された薬は続いている。
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