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よく被写体に選ぶ新潟市古町の“街角の坊さん”。他人はどう見てるか知る由もありませんが、僕はこの坊さんがあまり好きではない。街の雰囲気にそぐわない異次元の空間バリアが坊さんを包んでいるように感じて、畏怖の念というよりは、出来るだけ坊さんから離れたいとの思いが強く働く。
それでいながら写真撮ってるね。
もともと無神論者の僕は神や宗教に対しては都合良く解釈する。そしてその考えは唯一他人に左右されない。個人の思考回路までコントロールされちゃったら、たまらんからね。
「自己の研鑽なしに真の救いは見いだせない」をスタンスにしている。
じゃあ、「布教」なんてな活動が広く行き渡るようになったのは何故なのだろう。
信仰は個人の自由、なのにせっせと布教活動に専念する人も見かける。しかも宗派によっては敵対することすらある。信仰、友愛、慈愛を希求する一方で別の考えを持つ者には極端な排他的、敵意、憎悪すら持つようになってしまう。
個人の自由な信仰が、集団化し組織化されると、歪められるんだろうな。
この坊さんを観て違和感を持つのはそんな僕だからかも知れない。
アフガニスタン、僕がこんなこと書いてる最中にも空港に向けて必死に自由を追い求める人達が確かにいる。彼らの心の内には宗教とかカネとかそんなことに拘ってる余裕なんてないだろう。
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