苦しい時の神頼みでいいんです。
普段は神仏に目もくれないのに、苦しくなったり窮地に追い込まれたりすると、思わず神仏に手を合わせ頭を垂れてお祈りする。これでもいいじゃんか・・です。
苦しい時の神頼みをしている人は背後ではちゃんと打開策を実行中だ。今やるべきことをちゃんとやっている。そのうえでまだほかにやるべきことはないか考えてる。
苦しい時の神頼みはそうした行為の中の一過程に過ぎない。
11日午後、女房を伴って白山神社にお参りに行く。普段は全く神仏に興味を示さない女房が「行く」というからには余程心身が疲弊しているに違いない。もっとも俺もそうだ。
さぁ、どう対処しようか?
写真
両方とも片手カメラで撮影してる。1枚目:ネガ調モードだがあらゆるエフェクトをコテンコテンにいじくりまわしている。2枚目:ハイコントラスト白黒で周辺光量-4。
11日午後撮影・白山神社の手水舎
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